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点と面
本
つい先日、詩人の中上哲夫さんのお話しを聞く会があった。所属している読書会のメンバーたちと企画したものだ。詩の学び方詩の書き方という2部構成で3時間強、あっというまの時間とはこのことで、易しくもなく難しくもなく、考えさせられるテーマをいくつか置き土産に・・・部屋の関係で聞き手13名ぐらいだったのが、もったいないぐらい、おもしろい会だった。
そのとき何冊か本を持ってこられていて、その一冊が清水幾太郎著『論文の書き方』岩波新書で(多くの人にとってなつかしい本だと思うが)、私は本屋でよく見かけていたけど、読んだことはなかった。詩の書き方で論文の書き方って本が本当に役に立つわけ? となりに座っていた絹川さんと顔を見合わせたけど、ほいじゃ まあ読んでみましょうか!という軽いのりで注文。難しかったらいやだなと思ったら、これがおもしろい。まだ途中だけど、詩を書くのにとても参考になる箇所が多い。イメージや思いつきを大事にするとはどういうことか?とかとか。200ページのうちまだ40ページ・・・。
動作
昨日からどうしても気になる詩があって、有名だけどタイトル忘れ詩人の名前も忘れ、内容だけ覚えているという雲をつかむような?話だけど、今やっと巡り会えた。ほっと安心!!!宇宙的広がりを持つすばらしい詩だと思う。すばらしい詩に出会うと私はどうも落ち着きをなくしてしまう。もちろん一時的。でも幸せ!!!!!
動作 ジュール・シュペルヴィエール
ひょいと後ろを向いたあの馬は
かってまだ誰も見たことのないものを見た
次いで彼はユウカリの木陰で
また牧草(くさ)を食い続けた
馬がその時見たものは
人間でも樹木でもなかった
それはまた牡馬でもなかった
と言ってまた 木の葉を動かしていた
風の形見でもなかった
それは彼より二万世紀も以前
丁度この時刻に 他のある馬が
急に後ろを向いた時
見たそのものだった
それは 地球が 腕もとれ 脚もとれ 頭もとれてしまった
彫刻の遺骸となり果てる時まで経っても
人間も 馬も 魚も 鳥も 虫も 誰も
二度とふたたび見ることの出来ないものだった
動作 ジュール・シュペルヴィエール
ひょいと後ろを向いたあの馬は
かってまだ誰も見たことのないものを見た
次いで彼はユウカリの木陰で
また牧草(くさ)を食い続けた
馬がその時見たものは
人間でも樹木でもなかった
それはまた牡馬でもなかった
と言ってまた 木の葉を動かしていた
風の形見でもなかった
それは彼より二万世紀も以前
丁度この時刻に 他のある馬が
急に後ろを向いた時
見たそのものだった
それは 地球が 腕もとれ 脚もとれ 頭もとれてしまった
彫刻の遺骸となり果てる時まで経っても
人間も 馬も 魚も 鳥も 虫も 誰も
二度とふたたび見ることの出来ないものだった
雨
写真はオオデマリ こんなにいっぱい花をつけたのは初めて。最初の頃、グリーンがかった白だったが、今ではまっ白になって曇り空にはえています。
昨日注文した『世界童謡集』がきた。便利な世の中。昨日ほしいと思った本が今日には手にはいるのだからスゴイなあと思うけど。???。この本の最初は大正13年冨山房から出版。西条八十、水谷まさる訳である。私が注文したのは新しく刊行されたものなので、読みやすくなってはいるが、昔の本のままの漢字や仮名で読んでみたい・・・と贅沢なことを思ってしまった。現代詩もいいけど、こういう詩もいい。なにかに再会できるような、そんな予感に満ちた時間がある。
雨 ロバート・L・スティーヴンソン
雨が方々に
降っている。
青い野原に
木のうえに
ここじゃぼくらの
傘のうえ。
あそこの海じゃ
船のうえ。
ふとっちょ雲 ミリアム・C・ポッター
エロリダが
パンをつくってお鍋のなかで
ふくらましたらだんだんに
大きくなっていきました。
エロリダが
町へでかけて行った留守
お鍋のなかからふわふわと
パンは飛びでていきました。
エロリダが
日暮れに町から帰ってみたら
パンは空までのぼりつめ
ふとっちょ雲になりました。
カロライナジャスミン!
今日は雨です とても楽しい詩を読んだので紹介します。
世界中の海が
世界中の海が
一つの海になっちゃえば
どんなに大きな海だろな。
世界中の木が
一つの木になっちゃえば
どんなに大きな木だろな。
世界中の斧が
一つの斧になっちゃえば
どんなに大きな斧だろな。
世界中の人が
一人の人になっちゃえば
どんなに大きな人だろな。
大きな人が
大きな斧で
大きな木を伐り
大きな海へ
ばたんずしんと倒れたら
どんなに大きな音だろな
(マザア・グース 水谷まさる訳)
もうひとつ紹介します。これはどこかに言い伝えがあるのでしょうか?
悪魔
朝お寝床から起きたら
手を洗って目をきれいになさい。
それから
よく気をつけるのですよ。
洗った水を遠くへ
捨てないように。
だって捨てた水が
光っているうちは
悪魔がそこに
ちゃんといますから。
(ロバート・ヘリック 水谷まさる訳)
あちこちで命が動いてます
ここ数日で雑草はもちろんだが、バラが咲き始めている。写真はモッコウバラ。小さくきりつめていたのに、我が物顔で伸び放題(咲き放題)。シャクヤクも蕾いっぱいつけている。ナデシコ、クリスマスローズ、カロライナジャスミンとあれやこれや花の季節だけど、はびこる雑草はハンパじゃない。なにしろ茗荷が(三センチぐらいだけど)あちこちに顔だしているので、草さんごめんなさいで、せっせと抜いている。フキもわわっと伸びている。これから畑は忙しい。でも花粉症がまだおさまらないので、薬つけながら(目のまわりが最悪)がんばろっと。
木賊
詩の朗読
寺山修司の『戦後詩』を読んでいたら、詩の朗読にかんしてこんな一文がでてきた。
”私は、作者以外の朗読者による「詩の朗読」というものにも、ある種の苛立たしさを覚える。それに成功する場合には、必らず詩人が朗読者に犯されているのであり、聴衆の評価は「いかなる詩か」ということではなくて、「その詩を、いかに盗んだか」「その感情を、いかに偽装したか」ということに限られているからである。”
いろんな見方があるだろうけど、一理あるなと思った。
風が・・・・
フリ・フル・フレ
今年のバレンタインアレンジです。ハートが多すぎだけど、まあいいことにします。壁掛けは造花の花びらで作りました。
ほら、ここだよ
背中が少しだけ痛いのは、きっと剝がれて消えた翼のせい。時間の軸を
ちょっとずらしてみると、あそこにもここにもうさぎ穴が見えてくる。テーブルには
野菜の卵にヒマラヤの塩。さあ、お茶会の準備は万端。
上記の言葉は、青森在住の佐藤真里子さんの詩集『見え隠れする物語たち』の帯文です。
最近土曜美術出版販売から刊行された七冊目の詩集で、雪の結晶が浮き出た装幀はとてもステキな仕上がり。内容は冬の物語、春、夏、秋と季節でわけられた物語たちで構成されていてゆったりとした時間が流れています。パステルカラーのシフォンのような時間です。今年の冬は豪雪で大変。もちろん佐藤さんのお宅も例外ではありませんが、佐藤さんにかかるとこんな雪物語になります。
フリ・フル・フレ
佐藤真里子
振り返ると
足跡も消えて
かいてもかいても
フリ・フル・フレと
降り積もる雪
どこに消えたの
あの色彩に満ちていた地上は
すべてを白く包んで凍らせ
レース模様の結晶が残るわた雪
ヨーグルトにかけるお砂糖のこな雪
地表の雪を吹きあげ頬を打つ地吹雪
フリ・フル・フレと
絶え間なく降る雪の向こう
霞みながら駆けてくる白い馬が
さっきまで
暖炉のそばでめくっていた
絵本*の温もりを連れてくる
ページからこぼれたはりねずみは
雪かきで汗ばんだわたしの胸を
すすっと
すり抜けて
野苺の蜂蜜煮を大事そうに抱え
恋人のもとへと急ぐ若者
すすっと
すり替わり
はりねずみのわたしは
雪かきシャベルを握り
フリ・フル・フレと
見上げる雪空に
吸い込まれていく
*絵本『きりのなかのはりねずみ』
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